シュリーマド・バーガヴァタム 第46話(創造の背後の力)
更新日 : 2018.8.19
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
ユディシュティラは弟を連れて行き、聖仙ナーラダとトゥンブラを歓待しました。彼らは、偉大な賢人たちに礼拝しました。しかし、悲しみに溺れたユディシュティラは、礼拝をすることはできませんでした。
ユディシュティラは言いました。
「これは、聖仙ナーラダ様!伯父と伯母がどこに行ったのか分かりません。伯母ガーンダーリは、戦争で親戚を亡くしたことで悲しみに打ちひしがれていました。お二人を見つけられないので途方に暮れています。あなた様は私がこの悲しみの海を渡るのを手助けできる唯一の避難所です。どうか私たちをお導きください。この悲しみに耐えられません。私の母親のような存在だったガーンダーリのお姿が見当たりません。息子を失った悲しみに耐えられず、この地を去られたのか、それとも私と一緒にいることに屈辱を感じたのか、私には分かりません。私は夢の中でさえ、一度もお二人を悪く思ったことはありません。お二人は幼い頃、私たちを守ってくれた命の恩人でした。この命の贈り物を与えてくださいました。戦場であろうと、屈辱を受けた時であろうと、私たちを救い、命を与えてくださった恩人であると固く信じていました。」
聖仙ナーラダはこれを聴いて言いました。
「王よ、誰のためにも悲しまないでください。この世界全体が至高主の支配下にあります。宇宙の守護神たちさえも崇拝する主は、人々を結びつけ、また引き離すこともできます。
主はこの宇宙のすべての者の親族です。主はご自身の望むように鳥、犬、虫、猫、他の生き物でも、望むままに命を与えることができます。これらの姿で、生類が出会い、互いに深く結びつき、そして別れるようにします。主の遊戯はなんと不思議なものでしょうか。主は様々な方法と組み合わせを使って生類を結びつけたり、離れさせたりします」
友人たちと会うときは、「どうやって、どんな手段で知り合ったのだろう?私たちを引き合わせた状況は何だったか?」と考えるべきです。このことを深く分析すべきです。私たちは主に感謝すべきです。「ああ、私たちが出会ったのは、まさしく神の恩寵です。今日、私たちは楽しく話すことができます」。それはバス停や駅で出会った友人かもしれません。旅の途中で偶然出会った単なる知り合いかもしれません。誰であろうと、出会いと別れの両方をもたらすのは神です!たった10分しか会っていない人かもしれませんし、10年来の付き合いの人かもしれません。生涯を通じて大切な親戚かもしれません。出会いをもたらすのは神の幻影の力(マーヤー)であり、別れをもたらすのもマーヤーなのです!
織物は精緻な芸術です。織り手たちは、非常に器用な手つきで細い糸を操り、それを束ねて大きな布を作ります。織り手たちは、この大きな布をどのようにして一本一本の細い糸に分解するかを熟知しています。織り手たちの器用さは、まさにこれです!もしこれが普通の織り手が発揮できる専門技術だとしたら、全宇宙を創造と消滅をもたらすパラマートマの力はどれほどのものか想像してみてください。
この宇宙のすべての惑星は神によって創造されました!惑星間のつながりもまた、神の創造です。私たち人間が新しい惑星を発見し、そこへ旅することができたことを、私たちは大変誇りに思っています。しかし、それらはすべて神の創造の一部に過ぎません!それは神の幻想です。人をそれらの惑星へ旅させるのは神です。実際には、それらの惑星へ旅するのは神であり、旅そのものであり、そこに着陸して新しい惑星を観察するのも神です。新しい惑星を発見したと宣言するのも神です。これらの惑星を旅したことのない人の姿をとって、新しい惑星の発見に驚嘆するのも神です。何と不思議なことでしょう!
至高主の遊戯は無限で驚異的です。主なしでは何も達成できません。私たちは、周囲の様々な形を認めることによって、実際に神を認めているのです! それだけです。私たちが科学として認めているのは神であり、化学物質として認めているのは神であり、惑星として呼びかけているのは神です。私たちが原子、あるいは亜原子粒子と呼ぶものは、まさに神に他なりません。私たちが異なる粒子を組み合わせて物を作るとき、生み出された物の中に存在するのはパラマートマです。物を亜原子粒子に分解するときも、やはりパラマートマだけが存在します。
泥の塊には、無数の原子が存在しています。その数を数えることは不可能です。海の水をすべて集めることはできますか? 空の星を数えることができますか?
かつて夜空の星々の数を正確に知りたい王がいました。ある人がこの途方も無い仕事を引き受けることに同意しました。この者が翌朝宮殿に到着したとき、王は尋ねました。
「お前は星を数えたか?もしそうなら、答えを教えよ」
これに対して、この人は答えました。
「はい。王様。私は昨夜浜辺に行き、星を数えました。数が無限であるので、紙を使わずに、一つ星を数えるたびに、砂を一粒投げました。私の投げた砂を全部回収してご自身でご確認なさってください」
この物語は一種のユーモアですが、そこには真実があります。
この宇宙の広大さを測れる者はいるでしょうか?惑星の発見は絶え間ないプロセスです。科学者たちは新しい天体を発見しようと、空高くまで旅をしてきました。しかし、地球全体を支えている海の奥深くまで、広範囲に渡って探検した科学者はいません。彼らはまだ、地球の最大の宝物を見つけていません。海に沈んだ船さえも、その行方を追うことはできません。沈没した飛行機も、今に至るまで発見されていません。これが宇宙の広大さを物語っています。これらすべては神のマーヤー(幻想)です。
同時に、何もしないで静かに座って、すべてのことが主のマーヤーのために起こっていると言い切るのは間違っています。これらの天体を発見するためには、正しい方向への努力が必要です。こうした努力によって、新たな知識が得られます。新しい惑星への旅を禁じた人はいますか?決していません。新しい惑星を旅して発見する間、神のマーヤーを認めましょう。沈没船を探すために深海を航海する人は、そこに神の創造物である山々やその他の特別なものを発見します。もし航海に出ていなかったら、神の創造物に気づくことは決してなかったでしょう。
科学は著しく進歩しました。しかし、科学者たちは、このすべての創造物を背後から支えている何かがあることを認めています。彼らは、何らかの魔法やマントラがこの創造を支えていることに同意していますが、それを見つけることができていません。何らかの重要な力がこのすべての創造を支えています。私たちはそれを理解しようと努めるべきです。
病気で倒れた時、私たちは病気を追い払うために様々な治療を試します。私たちは数種類の外用薬を試します。しかし、真に賢明な人なら、この病気の由来する箇所からグランティ(神経)を見つけようとします。その人は徹底的に調査し、このグランティ(神経)自体を取り除くことが可能かどうかを試します。しかし、それ以上研究を進めることはできません。この行為の副作用は何でしょうか?限界を超えて深く掘り下げることはできないのです。このように、これは無限の知識の海なのです。
鼻に縄を結びつけられた牛が主人の持ち物を運ぶように、人間はヴェーダと呼ばれる縄に縛られ、すべきこととすべきでないことを示し、それぞれのカースト(ヴァルナ)と人生の段階(アーシュラム)に定められた義務を守ります。このようにして、人間は至高主の命令に従うのです!
ダッタ・ナーラーヤナ

