言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第157話

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ラクシュミー女神は、蓮のような目をしており、創造主ブラフマの母です。すべてのデーヴァタ(神々)に崇拝されています。そのようなラクシュミー女神は、主のすねをご自身の腿の上に置いて光沢のある手で揉んでいます。

次にヨーガの実践者は、再生誕の恐れを消し去り、生まれることもない主シュリハリの膝を瞑想する必要があります。
主の膝はエネルギーと力の庇護所です。それは輝く亜麻仁の花のようです。この膝はガルダ(神鳥)の肩によりかかり、神々しく光輝いています。主の黄金色のピーターンバラの衣は主の足首にまで伸びています。腰布は精巧な真珠で作られており、宇宙全体を取り囲んでいます。

全ての世界を支えるシュリハリの臍の奥から、すべての世界を含み、奥まで達する美しい蓮が生じました。この蓮から主ブラフマが生まれました。そのような臍を瞑想する必要があります。
主の胸は輝いて美しい一対のエメラルドのようです。それは主の胸を飾る真珠の首飾りの輝きのために白い光で輝いています。それを瞑想する必要があります。

シュリハリは全ての世界に崇拝される至高の主です。主の胸は幸運の女神ラクシュミーの住まうところです。その胸を瞑想する実践者の心や目を完全な喜びで満たします。主の首の輝きは、胸で優雅に輝くカウストゥバの宝石に美しさを添えています!実践者はこの首を視覚化して瞑想する必要があります。

腕輪を上品にする回転するマンダラ山と主の肩を飾る装飾は、主の肩を見事なまでにさらに美しくしています。主の腕とその腕に庇護の場をもっている守護神たちはその任務を全うすることに従事しています。無数のきらめく光線を発するスダルシャナ・チャクラ(円盤)の輝きに耐えることは不可能です。主の蓮のような手でほら貝は宮廷の白鳥のように輝いています。ヨーガの実践者はそれらに瞑想する必要があります。

主の矛はカウモーダキーとして知られています。この矛は強い悪魔たちがつぶされたときの血でまみれていますが、主にとって非常に大切なものです。長いヴァナマーラの花輪は主の首を飾っています。ミツバチの一群がその周りで美しい音色で羽ばたきながら飛んでいます。主の首を飾る純粋で輝いているカウストゥバの宝石は、純粋なジーヴァ・タットヴァ(個我の真髄)を表しています。ヨーガの実践者はそれらを瞑想する必要があります。

シュリハリは、単に帰依者たちを祝福するために姿をお取りになられました。長く高い鼻と主の蓮の御顔は明るく輝いています。主の純粋で輝く美しい頬は主の耳でまぶしく輝いているワニの形のイヤリングの反射でさらに美しくなっています。そのような御顔を瞑想しなければなりません。

主の蓮の御顔は全ての美の宝庫です!うねった髪の毛が美を添えています。惹きつけられる目と際立って美しいまゆげで輝いています。主の美しい目は、ミツバチに囲まれ、二匹の魚にとっての庇護所である愛らしい蓮にも微笑んでいます。ヨーガの実践者は心に主の美しい御顔の印象を熱心に留めて、瞑想する必要があります。

主の目は帰依者たちに絶え間なく流れる慈悲で満ちています。帰依者を苦しめる三つの困難から救い出します。この眼差しは素晴らしい笑顔とともに、愛に満ち溢れています。そのような眼差しは帰依者に果てしない祝福を注ぎます。知性として知られる洞窟でヨーガの実践者は至高の主の眼差しに瞑想しなければなりません!

hāsaṁ harer avanatākhila-loka-tīvra-
śokāśru-sāgara-viśoṣaṇam atyudāram
sammohanāya racitaṁ nija-māyayāsya
bhrū-maṇḍalaṁ muni-kṛte makara-dhvajasya

酷い悲しみのために流れる帰依者の涙の海は、主の素晴らしい笑顔で干からびてしまいます。よってこの笑顔を瞑想すべきなのです!ヨーガの実践者はそれから、マンマタ(欲望の主)の矢から聖者たちを守るために主の幻惑の力を使って創造した眉毛に瞑想する必要があります。

シュリハリが大きな声で笑われるとき、下唇は明るく輝きます。その反射で主の歯の上下は赤みがかったジャスミンの蕾のきらめきのようです。ヨーガの実践者はハートの場所の中の主シュリハリに集中して、主の素晴らしい笑顔を瞑想する必要があります。愛であふれる心をシュリハリに任せなくてはなりません。

実践者はシュリハリ以外を見たいと思ってはなりません!そうなるとシュリハリへの愛が溢れる実践者は信愛が成長します!この至福で鳥肌が立ちます。次から次へと喜びの涙があふれ体は涙でびしょぬれになります。

釣り針が魚を捕まえるように、これまでは実践者の心が主をとらえ、主を近くに引き寄せていました。今やヨーギ―は心を瞑想の対象からも引き離します。しばらく絶え間なくこれが続くと、心は私という感覚から完全に解放されます。

今や完全に無執着を確立したヨーギ―の心は、ランプの炎のように真我に完全に溶け込みます。肉体と一緒になったことからの全ての束縛から完全に解放されます。

ヨーギーは、見る者、見られるもののような違いのない、また全ての背後にある根源である無限の真我を経験的に認識します。真我を実現したジュニャーニの霊的無知(アヴィディヤ)は完全に払しょくされます。ヨーギーは喜びや悲しみのような二元性を超えた原初の形の中に確立します。その心は原初の真我に融合します。

続く

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