シュリーマド・バーガヴァタム 第39話(ユディシュティラの崇高さ)
更新日 : 2018.7.21
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム

ユディシュティラの高潔な行為を非常に喜んだ博識な学者たちは、謙虚さで満ちた彼に次のように言いました。
「おお、クル族の珠玉よ!あなたの一族全体が殺されたとき、あなたに対する慈悲から、至高の力を持つ主シュリー・マハーヴィシュヌがこの子を救い、あなたに引き渡したのです。
Tasmān nāmnā viṣṇu-rāta iti loke bhaviṣyati
Na sandeho mahā-bhāga mahā-bhāgavato mahān
この理由から、この子はヴィシュヌ・ラータ、すなわちヴィシュヌに祝福され守られし者として世界で有名になるでしょう。彼は終わりなき名声を得るでしょう。主の最高の信奉者(バーガヴァタ・バクタ)になるでしょう。彼は偉大なマハートマになり、その名声は永遠に続くでしょう。このことは疑いようがありません」
ユディシュティラはその後尋ねました。
「この少年は聖者たちが喜ぶような名声を得るでしょうか?」
幼児のホロスコープがあるとき、その子の未来について尋ねるのは通常のことです。年長者たちは、その幼児がさまざまな人生の段階で、どう暮らしていくか知ることを知りたがります。彼らはその子どもの人生における健康や他の事象に影響がある種々の惑星の結合について知りたがるのです。
同様にユディシュティラもその少年が自らの行いによって、聖者方が彼を尊敬し、名声を得るのかどうかを知りたがりました。
彼はなんと見事な質問をしたのでしょう!これに反して、私たちは一般的に、自分たちの子どもが勉強がよくできるか、アメリカに行くのか、物質的繁栄を得るかどうか、素晴らしい政治家になるかどうかなどを知りたがります。一方でユディシュティラはパリクシットが得る名声が、聖者たちもが彼を尊敬するようなものかどうかを知りたがっています。彼は自分の周りの一般的な人々が積み上げる賞賛については無関心でした。
最近の人々は、人から与えられる間違った賞賛を、個人的な期待から真の賞賛とみなします。人々が彼らに拍手をすると感動します。追随者がたくさんいるとプライドを持ちます。自分が開催する催しもので人がたくさん集まっているのを目にすると興奮します。これは真の賞賛ではありません。真の賞賛は卓越した聖者が与えるものです。一般的な間違った賞賛とは、自己中心的な目的を満たすために、自己中心的な人たちによって与えられるものです。
ユディシュティラはさらに尋ねました。
「彼は、私たちの血統から生まれたラージャ・リシたちが築いた道を歩むでしょうか?私たちの血統には、聖者(ラージャ・リシ)の道を歩んだ王が数多くいました。彼は、彼らが築いた道を歩むでしょうか?」
この質問はユディシュティラ皇帝の偉大さを如実に物語っています。彼は自分の孫が帝国を拡大し、富を獲得し、この上ない物質主義的な繁栄にいたるかどうか、彼が勝ち誇って戦争を行うかどうかなど知ることを求めませんでした。それよりも孫が神の道を歩くかどうか知ることを気にしました。孫が聖者方を尊敬するかどうか?主の熱心な信奉者として素晴らしい評判を得るか?市民たちをよく面倒みるかどうか?正しい道を歩むだろうか?を気にしていました。
ユディシュティラはなんと立派な人物だったのでしょうか!そのような純粋な心でユディシュティラは、自分の孫の将来を知りたいと思いました。ユディシュティラのこの質問から、卓越した聖者方によって真価を認められた道を歩むことは、人生でもっとも必要なことそのものであることは明らかです。
それでも人は好きなように主張することができます。しかし、最も重要なのは、聖者たちに認められる道を歩み、そのように振る舞うことです。シュリーハリへ向けたバクティ(信愛)を獲得すべきです!
シュリマン・ナーラーヤナ!

