言葉と教え

ラリタ・サハスラナーマの名の意味161~170

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161. Nirahaṃkārā ニラハンカーラー

意味)彼女は個人の感覚(エゴ、アハム)を持ちません。

これは非常に重要で意義深い特別な名です。ヨーガの全体がこの語によって述べられ、その真髄が理解されます。これを理解し適用することが霊的な進歩における主要な一里塚です。

アハンカーラには二つの段階があります。個人的なものと普遍的なものです。前者は有害で破壊的(自己中心性に根差しているため)で、後者は偉大であり有益です。個人的なエゴは「わたし、わたしに、わたしの」など自己の重要性を中心的な主題としています。普遍的なエゴは全ての中に自分自身を見ます。普遍的なエゴのあり方を採用するなら、完全にエゴを取り除くことも非常に簡単なことです。

アハンカーラには三つの区分けがあります。サトヴィック・アハンカーラ、ラジャシック・アハンカーラ、タマシック・アハンカーラです。私たちの行為は心を支配するグナ(性質)の種類から生じます。『バガヴァッド・ギーター』の「グナトラヤ-ヴィバーガ・ヨーガ」はどのようにしてアハンカーラを放棄すべきがを教えています。人が「私はサトヴィックだ」と感じるとき、その人はサトヴィック・アハンカーラに支配されています。三つの区分のうち、サトヴィック・アハンカーラが最良です。それは人に善良で恩恵のある行為をさせます。しかし、それさえも放棄される必要があります。
アハンカーラの根源は、粗大・微細・原因の三つのすべての状態に広がっています。まず粗大(目覚め)の状態のエゴが破壊されるべきです。その後に初めて二つの状態のエゴを根絶することができます。

162. Nirmohā ニルモーハ

意味)彼女は錯覚(モーハ)の影響を受けません。
モーハはアリシュタヴァルガ(六つの内なる敵)の一つで、すべての個人の中にあります。モーハは人を存在しない渦へと引き込む霧です。それは人に存在しないものを追い求めさせます。向こう側を遮るカーテンがあります。それが非現実であるものを現実であるかのように見せます。

スワミ・ヴィディヤーランヤは『パンチャダシー』で述べています。

Atmāstanga statonyat indrajālam himāyikam iti achanchalam nischite.
アートマースタンガ スタトーンヤト インドラジャーラム ヒマーイカム イティ アチャンチャラム ニスチテー

意味)真我を知った者には、世界はインドラジャーラ(錯覚、魔法の仕事)として見えます。このように見るため、彼はその罠にかかることがありません。

『イーシャヴヤーソーパニシャッド』は述べています。

Tatra ko mohah kah śoka ekatvamanupaśyatah.
タトラ コー モーハハ カハ ショーカ エーカトヴァマナヌパシュヤタハ

意味)全てに自分自身を見る者にどうして錯覚(モーハ)と悲しみ(ショーカ)が存在できるでしょうか?

これらのヴェーダ的な声明の背後にあるものは、単にそれらを理解したり称賛したりするためだけではなく、読者を実践へと駆り立てるものです。同様にただ偉大なマハートマを礼拝するだけなのは不適切です。彼が実践している原則を自らの頂点に置き適用しようと努めることが重要です。

モーハは「ダルマ・ヴィモーダトヴァム」として説明され、その意味は「ダルマの規定に反すること」です。ダルマは常に守らなければなりません。なぜ毎日の規律を守らなければならないのかという疑問がよく浮かんできます。そのような疑問が出ること自体もモーハです。

163. Moha-nāśinī モーハ・ナーシニー

意味)彼女は信奉者の心にある錯覚(モーハ)を破壊します。

164. Nirmamā ニルママー

意味)「わたしの、わたしのもの」といった利己的な感覚を彼女は知りません。

「ママ」は「私の家、私の仕事、私の所有物」などのように使われ、「わたしのもの」を意味します。至高の母は全ての母であり、そのような感情を持ちません。彼女は全ての存在を愛と慈悲によって等しく扱います。彼女の目には神々も悪魔も等しく映ります。もし彼女が神々だけに属するという感覚を持つならば、征伐によって悪魔を解放したりしません。

165. Mamatā-hantrī ママター・ハントリー

意味)彼女は信奉者の「ママ(利己性)」の感覚を破壊します。

166. Niṣpāpā ニシュパーパ

意味)彼女は罪(パーパ)を持ちません。罪の影響を受けません。

167. Pāpanāśinī パーパナーシニー

意味)彼女は信奉者の罪を破壊します。

Meruparvata mātropi rāśih pāpasya karmanah
Katyāyini samāsādya naśyati kśna mātratah.
メールパールヴァタ マートローピ ラーシヒ パーパスヤ カルマナハ
カティヤーイニ サマーサーディヤ ナシャティ クシャナ マートラタハ

意味)メール山のように巨大な罪(パーパー)も、聖なる母への礼拝によって一瞬で洗い流されます。

火のついたマッチ棒は一瞬にしてガソリンの入った箱を燃やし尽くしてしまいませんか?同様に罪は彼女の恩寵で一瞬で灰になります。この状態を得るためにもっとも大切な必須条件は、礼拝における完全な集中/献身、はかりしれない信、疑いのない崇敬の念です。功徳(プンヤ)とは何であり、罪(パーパ―)とは何でしょうか?ヴェーダ・ヴィヤーサは述べています。他者を傷つけ困らせるのが罪です。自分の幸せを犠牲にしても他者を助け幸せにするのがプンヤ(功徳)です。プージャや他の形の礼拝行為は罪を行わないようにさせる盾(カヴァチャ)です。

168. Niṣkrodhā ニシュクローダー

意味)聖なる母は怒り(クローダ)を持ちません。

内なる六つの敵(アリシャドヴァルガ)は、カーマ(欲望)、クローダ(怒り)、ローバ(貪欲)、モーハ(妄執)、マダ(慢心)、マートゥサルヤ(嫉妬)です。この闇を統御し追い払うのが人生の目的です。

シュリー・アーディ・シャンカラ・バガヴァッドパーダーチャリヤは彼の『ラクシュミー・ヌルシンハ・カラバラムバ』の詩節で次のように述べています。

Andhasya me viveka maha dhanasya,
Choraih prabho bhalibhi rindriya nāma dheyaih,
Mohānda koopa kuhare vinipātitasya,
Lakshmi Nrsimha mama dehi karāvalaṃbaṃ
ダンダスヤ メー ヴィヴェーカ マハ ダナスヤ
チョーライヒ プラボー バリビ リンドリヤ ナーマ ディエーヤイヒ
モーハーンダ コーパ クハレー ヴィンパーティタスヤ
ラクシュミー ナルシムハ ママ デーヒ カラーヴァランバン

意味)おおラクシュミー・ナラシンハ!私は盲目(アンダ)になっています。それは識別(ヴィヴェーカ)を盗まれてしまったからです。私は私の感覚器官(インドリヤ)に他ならない盗賊によって完全に縛られ抑えられています。盲目は私を妄執(モーハ)の井戸へと落としました。井戸はとても深く暗いです。おお主よ、どうか私を守り、上へと登らせてください。

上記の詩句で、暗闇あるいは井戸の中にいるのは、内なる敵(アリシャドヴァルガ)の罠にかかった結果です。

169. Krodha-śamanī クローダ・シャマニー

意味)彼女は信奉者の心から怒りの性質を根絶します。

Krodhayukto yadyajati yajjuhoti yadarchati |
Sa tasya harate sarvamāmakumbho yathodakam ǁ
クローダユクトー ヤディヤジャティ ヤッジュホーティ ヤダルチャティ
サ タスヤ ハラテー サルヴァマーマクムボー ヤトーダカム

意味)焼きたての湿った土器に水を入れることができないように、泥にまみれた人のプージャ、ヤーギャ、ホーマなどの儀式の形で捧げられた主への礼拝は、どんな恩恵(プンヤ)も確かなものではありません。それどころか、彼が保持している恩恵を吸い取ってしまいます。

どんなヴラタやプージャにおいても、始める前にまずプンヤーヴァチャナム(浄めの過程)を行います。これによって外的な環境だけではなく内なる心も純粋になり清められます。すべてのプージャや儀式の初めにプラーナーヤーマを行うことは、心の怒り、焦り、緊張を清めて落ち着かせる助けとなります。この清めのない儀式は無意味です。

怒りは恐ろしい敵であり、そこから何も得ることができませんが、全てを失わせる危険を持っています。怒りに支配されて行った全ての仕事はまったく無駄なものです。

デーヴァタ(神々)と悪魔によって行われるヤーギャやサーダナの違いは何でしょうか?デーヴァタは全てのサーダナをどんな悪意も持たない純粋な心(サトヴィック)で行います。そこには他者への怒りや憎しみがまったくありません。それは保護を求めるだけです。一方で悪魔たちは霊的実践を憎しみと怒りに支配された心で行います。彼らは他者の破壊を祈り、自分自身は不滅であろうとします。悪魔の祈りは実を結びません。

主クリシュナは『バガヴァッド・ギーター』で述べています。

Kāma esha krōdha esha rajō-guṇa-samudbhavah.
Mahāsano mahā-papma viddhy enam iha vairiṇam.
カーマ エーシャ クローダ エーシャ ラジョ―グナサムドバヴァハ
マハーサノー マハーパプマ ヴィッディ エーナム イハ ヴァイリナム

意味)欲望(カーマ)と怒り(クローダ)は共存し、同じ根から生じます。欲望が怒りを生み、怒りは自分の思うようにいかないことから生じます。この根はラジョグナ(ラジャス的性質)、すなわち支配し、統御し、勝利し、すべての人を彼あるいは彼女に従わせたいという欲望にあります。

欲望と怒りは食欲旺盛でどんどん育ちます。満足を知らず、最終的に人を犯罪や罪に導きます。この理由によって、それらは残念ながら内側に存在する恐るべき敵です。無限の慈悲と優しさを持つ聖なる母はそれらを根絶することができます。

170. Nirlobhā ニルローバー

意味)彼女は貪欲(ローバ)を持ちません。ローバは「吝嗇」を意味し、けちな人に言及しています。そのような人は分かち合うことを知らず、それを不自然なこととみなします。吝嗇(ローバ)は知的な富や知識を純粋に自分のためだけに留めようとする人々も含みます。

そのような傾向が人生における不満や不足感の原因です。
寛容で寛大(アウダルヤ)である聖なる母にニルローバの名がつけられたのは相応しいことです。

続く

⇒ラリタ・サハスラナーマ目次
※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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