言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第230話

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サナトクマーラ・マハルシは言いました。

「おお王よ、あなたは、博識な学者です。しかし、あなたは人類全体の利益を意図して、賢明に質問しました。それはまさしく、高潔な聖者の考え方です!

Saṅgamaḥ khalu sādhūnām ubhayeṣāṁ ca sammataḥ
Yat-sambhāṣaṇa-sampraśnaḥ sarveṣāṁ vitanoti śam

神聖な聖者との出会いは、話し手と聞き手の双方にとって喜ばしい出来事です。聖者に会って、賢明に質問することは、誰しもの幸福につながります。

おお王よ、あなたは、マドゥスーダナ神の蓮華の御足の栄光について傾聴することに大変な関心を抱いています。それが真実です!このように神の神聖な栄光を聞きたいと強く願うのは、非常に難しいことです。そうした祝福を受けたあなたは、実に幸運です。

シュリハリへの愛は、好色等の欲望や好き嫌いの苦しみをもみじんにしてくれます。心を浄化してくれるのです。私たちは、この世に対する執着心をなくしていかなければなりません。それは、非実在(アナートマ)であるのですから。そして、無性かつ真我である至高の神に確固として献身奉仕するのです。これが私たちを吉祥へと導く唯一の方法です。これについては、聖典の中で明言されています。

Sā śraddhayā bhagavad-dharma-caryayā
jijñāsayādhyātmika-yoga-niṣṭhayā
yogeśvaropāsanayā ca nityaṁ
puṇya-śravaḥ-kathayā puṇyayā ca

霊性の求道者は、常にダルマに従わなければなりません。至高の神は、ダルマを大切に思っており、そして、ダルマに従うことが神を喜ばすのですから。そして、求道者は、真我の叡智を修得せんと願わなければなりません。常に真我に確立できるよう、全身全霊で修練するのです。ヨーガ行者の神である主シュリハリを永久に熱心に崇拝することも大切です。

神の栄光を歌えば、心は浄化されます。ですから、毎日、至高の神の栄光を歌ったり、その話を聞いたりしなければなりません。このような修養を積むことによって、求道者は、遍在なる神への献身奉仕の念を育んでいくことができるのです。

この物質的世界に執着している人たちは、常に富や感覚的喜びに関心を寄せています。ですから、いつでもそれを追いかけています。霊性の求道者は、物質的欲望に満ち満ちた人たちとの交友を楽しんではいけません。また同時に、富や感覚的喜びの対象物からも距離を置かなければなりません。

霊性の求道者は、神聖な栄光という甘露を味わって、常に心の満足を感じていることが大切です。そうでなければ、求道者は、内在する真我にしっかりと結び付き、神との一体感において、内なる至福を楽しむべきです。こうした修練を積む霊性の求道者は、真我への着実に確固とした献身奉仕の念を強くしていきます。

霊性の求道者は、非暴力(アヒンサー)、内面的な心の制御(シャマ)、外的な身体器官の制御(ダマ)といった聖者のダルマに従うことが大切です。そして、真我の実現という目標に徹底的に集中しなければなりません。神の神聖なる栄光という甘露を飲みなさい、解放を授けてくれるのですから。神の栄光を思うことに没頭して、至福を楽しむのです。

非暴力(アヒンサー)、盗まない、禁欲を誓う、真実を生きる、所有しない(アパリグラハ)という五つの修養のための規律は、ヤマと言われています。心身の浄化、足るを知ること、苦行、真我についての学習、真我への全託は、ニヤマと言われています。霊性の求道者は、何の期待も持たずにこうした修養規則に従わなければなりません。

霊性の求道者は、他人を非難してはいけません。また、利己的な物質的欲望のために励んで、それを獲得しようとしないことも大切です。そして、バランス感覚を持って、幸不幸、寒暑等の二元性に耐えなければなりません。こうした修養規則を守る霊性の求道者は、真我を実現して、解放を獲得することでしょう。

信奉者は、ゆっくりと少しずつ、神の神聖な栄光を歌う機会を増やしていき、献身的に賞揚していくことが大切です。神の栄光は、熱心な信奉者の耳飾りです。このような修養規則を守る霊性の求道者は、この物質世界には巻き込まれません。そして、いともたやすく、無性無相の神への献身奉仕の中にしっかりと確立されていくことでしょう。

グルが示す道を歩む霊性の求道者は、すぐに至高の神への献身奉仕の念を強くしていきます!そして、その人の心の中で即座に叡智と離欲が大きくなっていくのです。木材から火が生じて、それを灰にしていくように、その求道者の幽体は、完全になくなっていきます。叡智の炎で焼き尽くされた幽体には、輪廻転生の問題は生じません。

霊的無知(アヴィディヤ)、「私」という感覚、好き嫌い、死の恐怖は、幽体の五つの苦しみです。それがあるから、輪廻転生が生じます。霊的叡智をつかむまでは、私たちは、自分とパラブラフマは二つの別個の存在であると考えています。しかし、霊的叡智をつかめば、幽体は消えて行きます。それと同時に、「私」という感覚と執着心もなくなっていきます。こうして、自己とパラブラフマの分離感はなくなります。

人は、夢の中で様々な生命体や物体を見ます。しかし、目が覚めるとすぐに、その夢は消え、その人の中に吸収されていきます。同様に、至高の叡智をつかんだ智者は、もはや、この世界を自分と切り離して見るようなことはありません。その人の中から、自分はこの世界からかけ離れた存在であるという考えが消えていくのです」

シュリークリシュナーヤ・ナマハ

続く

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