言葉と教え

スンダラ・カンダ[ラーマーヤナ第五巻 美の巻]1

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シュリー・マハー・ガナパティ・ナマハ
シュリー・サラスワティ・ナマハ
シュリーパーダ・ヴァッラバ・ナラシンハ・サラスワティ
シュリー・グル・ダッタートレーヤーヤ・ナマハ

今日から話す「スンダラ・カンダ(美の巻)」は完全版ではありません。簡単に要約していきます。詳細ではなく、要点だけを説明していきます。完全に説明するには45日かかります。私たちの短い時間でできるのは要点だけです。今、私たちは朝も夜も集まって座り、朝早くにパーラーヤナ(詠唱)をし、夜にその説明を聞くということはできません。

私たちは大好きな神であり救世主である、ヴァーユ(風)の神、ハヌマーンの栄光について聞くために一日に一度集まります。ナレーションの落ち度がすべて許されることを祈ります。私は子どものように話します。小さな子どもの言葉を話します。皆さんも子どものようになります。そうでなければついてこれません。私がする間違いはすべてハヌマーンのものです。母親は赤ちゃん言葉を喜びます。文法が私についてきます。私は文法は守りません。このホールにはハヌマーンと私だけがいます。皆さんは旅行者が観光しているようなものです。皆さんのために講話をやっているわけではありません。私自身のためにやっています。皆さんは私にとってはヴァーナラ・セーナ(猿の軍隊)のように見えます。皆さん全員が大きい猿、小さい猿、雄、雌、年取った猿、若い猿のように見えます。

『ヴァーナラ・ギーター』についても触れる予定です。それを必要に応じて「スンダラ・カンダ」と合わせます。私はこの話をハヌマーンにだけ話します。皆さんではありません。皆さんは今、木から降りてきました。果物を食べています。講話の後に木に戻っていくでしょう。

これはカールヤ・シッディ・ハヌマーン寺院での最初の正式な講話になります。ハヌマーンが私の声を戻してくれました。今日から始めます。声が続きますように。

ハヌマーンは常に称賛される必要があります。そうするとハヌマーンは素晴らしい恩恵を与えてくれます。ハヌマーンは幼少期にいたずらがひどく、呪いをかけられました。自分自身の力を忘れ、他の人に自分の力を思い出させてもらわなければならないという呪いでした。だからこそハヌマーンの普遍的姿を見るために、ハヌマーンを称え、その栄光の力と能力を思い出させることが重要なのです。寺院を建てたり、ハヌマーン・チャリサを歌って祈りを唱えます。ハヌマーンがその偉大さを思い出すようにプージャーを行います。

バジャン:ハヌマー・ハヌマー・ハヌマー・ヤヌマー

『ラーマーヤナ』は全世界で老若を問わず高く評価されています。ラーマを誰もが愛しています。多くの人が自分の息子にラーマと名付けます。宗教に関係なく、誰もがラーマに多大な敬意を払っています。私たちは家庭での日常生活で『ラーマーヤナ』の教義に従います。『ラーマーヤナ』の物語についてよく話します。『ラーマーヤナ』の教えをいつも思い出して従っています。物語のキャラクターに自分を重ね合わせます。

ハヌマーンの話をして、ラーマーヤナの様々なエピソードを話すと、さまざまなキャラクターと自分を重ね合わせ、彼らと一緒にいるような気持ちになります。母と息子の関係性、夫婦関係はみな、『ラーマーヤナ』の登場人物の定められたダルマに従って描かれています。自分のダルマにあえて反することをしようとする人はいません。そうすることを恐れます。真実を尊びます。罪を犯さないようにします。罪をおかすととても罪深い思いになります。少なくとも壁のところに行って過ちを告白して、許しを求めます。

『ラーマーヤナ』は人が世界でどう生きるべきなのか、母として、子として、教師として、召使いとして、兄として、義理の妹として、どのような役割であっても、その中でどう振る舞うべきなのかを示しています。生活でのそれぞれの役割で、人間としての生を全うするために、人は『ラーマーヤナ』の導きが必要です。これが『ラーマーヤナ』の目的です。物語として語られていますが、単なる物語ではありません。皆さんのために、神自身が人間として降りてきて、人間のあらゆる苦しみを経験しました。無実の罪と不当な非難に耐えました。ラーマは継母に王国を奪われ、王国を失いました。両親を尊敬し、崇拝してその約束を守りました。森に亡命して、森での苦難に見舞われました。そのようにジャングルで過ごす時も善良な人たちを守り続けました。悪魔を殺しました。悪魔とは、情欲、怒り、貪欲、プライドなどの形をした、私たち自身の内なる敵に他なりません。

『ラーマーヤナ』は各個人がそのような秩序をどのように人生に適用しなければならないのかを示し、それによってこの人生の中にラーマ・ラージュヤ(主ラーマの理想的な統治)を復活させることが可能になります。『ラーマーヤナ』で教えられている原則を守ることができず、ラーマ・ラージュヤの理想的王国を失ってしまった非は私たちにあります。

『ラーマーヤナ』で「スンダラ・カンダ」は第5章にあたります。著者ヴァールミーキは話の内容ごとに各章に名前をつけました。この章は「スンダラ」と呼ばれています。「美しい」という意味です。それは「真実」を表します。肉体的な美を言っているのではありません。ラーマは美しかったです。シーターもです。彼らがお互いに離れ離れになった言い表せない苦しみはこの章の一部となっています。知性と心は分離しています。魂がラーマです。心が魂に融合するとき、その結合がヨーガです。

通常、はじめに名前を決めてから、その名前を中心にストーリーを織り込んでいきます。しかしヴァールミーキは物語の内容を章の名前にしました。この章だけ彼は「スンダラ・カンダ」と名付けました。ハヌマーン・カンダとは呼ばず、代わりに「スンダラ・カンダ」と呼びました。非常に美しいです。どれだけ美しく着飾っているかを言っているのではありません。究極の真実を明かしているからこそ「スンダラ・カンダ」なのです。真実を表しているのです。主人の指示に従うことでハヌマーンの従順さのレベルを示しています。学習を進めていくにつれてこの全てを学びます。この章を学んだ後に、この「スンダラ・カンダ」の名前の根拠の本当のところを理解するのです。

この話は、最も美しいラーマの物語です。ええ、私たちはそのように受け入れています。ですが『ラーマーヤナ』のどの章もラーマを取り上げていますが、この章だけが「スンダラ・カンダ」と名付けられました。これは驚くほどに美しいシーターの話でもあります。知性と心は魂から現れたものです。しかし別々になってしまっています。ヨーガとはこの三つを融合させることです。心/知性は魂に融合しなければなりません。それがヨーガです。ハヌマーンは信じられないほどの大胆不敵さで、二人を引き合わせました。この話はどうやってそれが可能になったのかを説明しています。

ハヌマーンは生まれたとき、シュリー・クリシュナよりも美しかったと言われています。ハヌマーンは五大元素のひとつ、風から生まれました。ハヌマーンは風によって成長しました。母親のアンジャナは、ハヌマーンが誕生するための道具にすぎませんでした。ハヌマーンは美そのものでした。ハヌマーンの子ども時代の話を聞いたことがあると思います。ハヌマーンが太陽を果物のように掴もうとして飛んで行ったとき、インドラがヴァジュラ(金剛)の武器で彼を傷つけました。そしてハヌマーンの顎をへこませたので、「ハヌマー」という名が彼に与えられたことを考えてください。ハヌマーンの姿は最初のころは美しいものでした。ガナパティも同じ状況でした。礼拝中に使う美しい姿をしたスンダラカーラというガナパティを描写する名前を私たちは笑います。どうして大きいお腹と象の頭をした子どもが美しいと言われるのでしょうか?第一にガナパティは、自然の母であるパールヴァティが創造したことを覚えておかなければなりません。最高に美しい少年として造ったのです。皆さんは、その後にシヴァが彼の頭を切って、ヴィシュヌが象の頭と入れ替えたという話を知っています。

ハヌマーンは本質的に非常に美しいので、このカンダ(章)は「スンダラ・カンダ」という名前になりました。そこでハヌマーンはラーマが母なるシーターと離れて悲しみに苦しんでいることを彼女に伝えました。美しいエピソードです。ハヌマーンがシーターのダルシャン(謁見)を得たこと自体もとても美しいことでした。ハヌマーンはシーターのメッセージをラーマに持ち帰りました。それもまた美しいものでした。ラーマの安否を聞いたシーターの喜びは美しいものでした。シーターが生きており安全であるということを聞いて恍惚となったラーマは最も美しいものでした。悲しみにある人が良い知らせを聞いて喜びを感じることはとても美しいものです。悲しみがまもなく終わりをむかえ、喜びがやってくるという希望は美しいものです。ハヌマーンは互いの安否を伝え、「すべてはまもなく良くなるだろう」という希望をラーマとシーターのハートに与えたことで、二人の命を守りました。お互いの安否の知らせがなければ、二人は自らの命を絶つことを選んでいたかもしれません。ハヌマーンは私たちの利益のために、二人のメッセンジャーとしてうまくやり、ラーマとシーターの命を守りました。ハヌマーンはシーターが酷く絶望して落ち込んでいたときに命を絶つのを防ぎました。

シーターは、ラーマとの別離と、ランカー島での責め苦に耐えられませんでした。ハヌマーンは彼女の悲しみをやわらげて希望を与えました。だからこそ「スンダラ・カンダ」なのです。目に見えない神ハヌマーンが人間には不可能な、ヴァーユ(風)としてあちこちを飛び回り、ラーマとシーターに幸せを与えました。ヨーギーさえもハヌマーンがしたように旅したり、ハヌマーンがしたことを達成することはできません。彼はヴァーユそのものであり、特別なヨーガの力を使って任務を確実に遂行することができました。ハヌマーンには目に見える姿はありません。彼はヴァーユ(風)です。私たちのために姿を取りました。神々はハヌマーンの計り知れない美しさに耐えられず、ヴァジュラの武器で顎を傷つけて、完璧な姿を奪いました。おそらく神々はハヌマーンの完全な美しさに嫉妬したのでしょう。あらゆる聖典の中ででハヌマーンほどの美しい存在はいません。主クリシュナご自身が『マハーバーラタ』でのクシェートラの戦いでアルジュナの戦車の旗にはためくハヌマーンに、「おお、スンダラカーラ、おお美しい方よ」と呼びました。ハヌマーンは『バガヴァッド・ギーター』としてアルジュナに与えられたクリシュナのウパデーシャ(教え)の目撃者でもありました。ハヌマーンは教えを聞いていました。ハヌマーンはいつも勝利の旗とヴァジュラという棍棒を持っていました。ハヌマーンは「hath Vajra aru dhwaja virajai(ハートゥ・ヴァジュラ・アル・ドヴァージャ・ヴィラージャイ)」と称えられています。彼は道のあらゆる困難を克服しました。悪魔ラーヴァナを含めてすべての登場人物に成功をもたらしました。パラマートマに融合するために、パラマートマの手で命を落とすことが悪魔ラーヴァナの望みだったのです。

ハヌマーンは悪魔ラーヴァナの最期を早めようと行動しました。

ハヌマーンを称える人はあらゆる価値のある努力において勝利と成功に恵まれます。

多くの人がこの素晴らしい価値ある音源を保存したいと思うでしょう。私の祖父のセーシャッパ・ダーサはクリシュナ・ニルヤーナ(クリシュナの逝去)の講話中に神と一つになりました。

ふいごを使った古いタイプの楽器を操るハルモニウム奏者も祖父に同行していました。クリシュナ・ニルヤーナの物語です。父の兄でした。生命エネルギー(プラーナ)が肉体を離れた後も、立ったままでした。ハルモニウム奏者は何が起こったのか気づいて優しく触れました。私はそれほど偉大ではありません。私の講話は変わったものでしょう。音楽があり、散文があります。伯父のスタイルを受け継いでいるのです。セーシャッパ・ダーサは精神的なグルでした。素晴らしい音楽家でした。彼は聴衆を笑わせ、泣き崩れるまで泣かせました。恐ろしいシーンでは恐怖を感じさせました。9つのタイプの情感(ナヴァ・ラサ)のすべてを生き生きと描写しました。

ホールで赤ちゃんを泣かせないでください。テレビスクリーンがある隣りの部屋にいてください。チョコレートをあげなさい。そこから見たり聞いたりできます。音に邪魔が入ると価値あるビデオが撮れなくなります。中断して申し訳ないです。今は収録しています。このことをお願いします。通常のバジャンであれば子どもの騒ぐ声は許容しています。

ラーヴァナの邪悪さを非難する人は、ラーヴァナがラーマが地上に化身した原因であったということを覚えておく必要があります。私たちはラーヴァナに感謝する義務があります。ラーヴァナがいなければラーマも存在しませんでした。私たちにも聖なる主ラーマはいなかったでしょう。ラーヴァナはある特定の状況下の人間の手によってのみ死を迎えるという恩恵を得ていました。ラーマの化身はその通りに起こり、物語はラーヴァナの願いを叶えるような方向に展開していきました。ハヌマーンはラーヴァナの恩恵が成就するように助けただけではなく、アンガダ、スグリーヴァ、ヴァリ、ほかの数人の戦士たちが使命を果たせるように助けました。ヴァリは解放されました。スグリーヴァはラーマのダルシャン、友情、祝福、ラーマの使命の一助になる機会を得ました。ハヌマーンは計り知れない方法で多くの魂を助けました。それが私たちがカールヤ・シッディ・ハヌマーン(行為の成就のハヌマーン)と呼ぶ理由です。彼はすべての人のために望ましい任務を完遂しました。ハヌマーンはスグリーヴァとの約束を果たして、王国を取り戻すのを助けました。

「スンダラ・カンダ」の主な意図は、偉大なヨーギーでもあるハヌマーンが目的を達成するために、ヨーガと世俗的な事の両方に関わる使命の中で、困難を乗り越えることができたということです。ハヌマーンは出会う人すべてが目標を達成するように助けました。スグリーヴァが約束を果たせるように助けました。ラーマがスグリーヴァの言葉を信じ続けるのを助けました。このカンダ(巻)ではラーマとシーターの美しい人格が明らかにされるだけではなく、二人の間の愛の高みと本質も明らかになります。

ランカーの都市の美しさもこの章で説明されています。都市の壮大さは比類のないものでした。それは女神パールヴァティ自身の命令で、聖なる建築家ヴィシュヴァカルマによって建設された都市だからです。都市の邸宅や宮殿はパールヴァティのためにパールヴァティ自身が個人的に設計しました。バジャンの「ジャヤ・ジャヤ・ジャヤ・ジャヤ・ジャイーバヴァ」でスワミジが「プラクリティ・スヴァルーピニ・ジャイー」、それと「デーヴィー・ヴィラードゥルーパヴァイナッティ・ニーク」という歌詞で称えているように、パールヴァティは自然の美しさと栄光すべてを表しています。

自然全体がパールヴァティの姿として描かれています。シヴァは、ランカーに美しい宮殿のような邸宅を建てたいという願いを思いとどまらせようとしました。火葬場での生活も非常に幸せで満足なものであるとパールヴァティに言いましたが、パールヴァティは聞き入れませんでした。シヴァは満足するように言いました。パールヴァティは頑固でわがままになり、願いを叶えると主張しました。パールヴァティはインドラには大きい邸宅があると言いました。ラクシュミーも美しい邸宅を持っていたので、パールヴァティも欲しかったのです。シヴァはいろいろな方法で説得を試みました。しかしパールヴァティは譲りませんでした。パールヴァティが怒って両親の家に帰ってしまうかもしれないと考えて、ついにシヴァはランカーに美しい都市として邸宅を建設する計画を許可しました。シヴァはパールヴァティの実家である義理の父(山の王)の家に行って、戻って一緒に暮らすように懇願する気はありませんでした。シヴァはパールヴァティの要求に応じました。そうでなければパールヴァティは怒って実家に帰ってしまったでしょう。シヴァは彼女を探すはめになります。パールヴァティは最高に美しい島を創造しました。そして最も素晴らしい都市を建設させました。この章を「スンダラ・カンダ」と呼ぶ理由は、ランカーの最高に美しい都市についての説明を含んでいるからでもあります。

「グリハ・プラヴェーサ(新築祝いの儀式)」の主宰者に選ばれたバラモンの祭司はラーヴァナでした。なぜなら彼は十の頭を持ち、その十の頭でマントラを見事に唱えることができたからです。パールヴァティはラーヴァナが祝祭を盛大に行うだろうと思っていました。シヴァは疑問を挟みました。「どうしてそんなに高い水準の人に近づく必要があるのか?もっと普通の人を選ばないのか?」

このハヌマーン寺院のために新しい祭司を雇うようなものです。シヴァの提案は寺院にいる祭司の一人を式典の主宰者にできるだろうというものです。パールヴァティは「あの司祭たちはカンナダ語、テルグ語、タミル語しか話しません。英語ができません。ラーヴァナは流暢に英語を話します。十の頭で十の言葉を話します」と言ってシヴァの主張を退けました。シヴァは妻が実家の父の家に帰る恐れがあったので、妻の望みを受け入れました。

ラーヴァナがやって来て、11日間の盛大な儀式を執り行いました。私たちは10分さえもちゃんと儀式を行いません。電話で済ませてもう満足します。インターネットでグリハ・プラヴェーシャム(新居の儀式)を行います。祝賀会が素晴らしいやり方で行われたことにとても満足したパールヴァテ​​ィは、大喜びで最後に、ラーヴァナに願い事を言うようにと申し出ました。シヴァは、まもなく災難が待ち受けていることに気づいていました。パールヴァテ​​ィは、ラーヴァナに多大な報酬を与えて送り出す代わりに望むものを何でも与えるという壮大な約束をしてしまいました。シヴァが止める前に、パールヴァテ​​ィが先に進んで申し出てしまいました。ラーヴァナは、11日間尽くした返礼の恩恵として邸宅全体の所有権を望みました。シヴァとパールヴァテ​​ィは新居の大邸宅を失い、以前住んでいた小さな住居に戻らなければなりませんでした。パールヴァテ​​ィは、自分のために建てられた豪華な邸宅で一晩も過ごすことができなかったことを泣きました。その邸宅を去らなければなりませんでした。

シーターはこのパールヴァテ​​ィです。彼女はドゥルガー・パラメーシュワリです。

ここ一週間、ハヌマーンは女神ドゥルガー・パラメーシュワリと一緒にいることを求めています。私はどうしたらよいかわかりません。ドゥルガー・パラメーシュワリがここに来なければなりません。私たちは何とかしなければなりません。すべての人の悲しみを消し去るために、女神が来る必要があります。ドゥルガー・パラメーシュワリが熱烈に崇拝されれば、ハヌマーンはすべての人に彼の恩寵を惜しみなくさらに注ぐでしょう。彼女はどのようにしてここに来て、このKSHT (カーリヤ・シッディ・ハヌマーン寺院)でのハヌマーンの力を高めるのでしょうか。私たちは見なければなりません。ドゥルガー・パラメーシュワリは最も美しい存在です。そのため、この章はスンダラ・カンダと呼ばれています。

「スンダラ・カンダ」では、アショーカ・ヴァナが詳細に説明されています。それは非常に美しい庭園であり、そのすべての特徴が説明されています。そのため、このセクションは「スンダラ・カンダ」と呼ばれています。常に、あらゆる姿において、ハヌマーンは最も美しい存在です。ヴァーナラ(猿)として、彼は美しいです。彼は引き受けたどんな仕事でも、完璧に、完全に、そして途方もない成功をもたらして遂行します。彼はその行動によってラーマに至福を与えました。この章の描写は、ハンサムな英雄ハヌマーンがすべての事柄を非常に立派にこなしていることを示しています。これは非常に美しい物語です。そのため、聖者ヴァールミーキはこの物語に「スンダラ・カンダ」という名前をつけました。

ヨーギー・ハヌマーンは最初、マヘーンドラ山から空へと飛び立ちました。その出来事を4分で説明することはできません。ハヌマーンがヨーガの手順を使って、陸から宇宙へと飛び立つ様子を説明するのには 4日かかります。ハヌマーンはムーラダーラからクンダリニーの力を上昇させました。スンダラ・カンダ全体は、ヨーガ・シッダーンタに他なりません。ヨーガに関する文献です。そのため、ハヌマーンはヨーガ・プルシャです。彼はヨーガの達人です。

海を渡ってランカに着くまで空を飛んでいるハヌマーンに、マイナカは休憩場所を提供しました。途中で立ち寄ることを障害とみなしたハヌマーンは、丁重に申し出を断りましたが、優しい言葉でマイナカを喜ばせました。ハヌマーンはマイナカに、自分は主ラーマに代わって任務に就いており、今はコーヒーや紅茶を飲んだり世間話をしたりして休憩する時間ではないと優しく説明しました。彼はマイナカに、また別の機会に彼を訪問して彼のもてなしを受け、楽しむことを約束しました。優しい申し出を優しく断りました。このちょっとした障害を克服するやり方は、スワディシュターナ・チャクラを通過することを表しています。ヨーギーは精神的な旅で多くの障害に直面します。マイナカの寛大なおもてなしの申し出は、その 1 つです。

巨大な天人スラサがハヌマーンに別の障害を課しました。彼女は、ブラフマーがハヌマーンを食べ物として彼女に提供したと主張し、ハヌマーンが自分の口に入るように要求しました。ハヌマーンは体を大きくしました。巨大なスラサも体を大きくすると、ハヌマーンはすぐに自分を蚊のように小さくしました。彼はスラサの口の中を巧みに飛び回り、彼女の要求を満たしました。これは、スラサの姿で彼の行く手を阻んでいたマニプーラカ・チャクラをハヌマーンが越えたことを意味します。すべての神々はハヌマーンの機知と鋭い知性を称賛しました。

影の怪物としてシムヒカは空を飛んでいるハヌマーンを影を使って引きずり下ろし、強力な力で地面に向かって引っ張りました。ハヌマーンはシムヒカの大きく開いた口の中に入り、彼女の生命力を破壊して殺しました。こうしてハヌマーンはアナーハタ・チャクラを越えました。彼の飛行は続きました。

ランカの街に入ると、街の守護者であるランキニがハヌマーンを妨害しました。そのハードルを乗り越えることで、ハヌマーンはヴィシュッダ・チャクラの上へと昇りました。

ランカでシーターを探している間、ハヌマーンははじめに、眠っているラーヴァナの女王マンドーダリに会いました。彼女は神々しく美しかったです。彼女はまさに美の顕現でした。それがこの章がスンダラ・ カンダと名付けられたもう一つの理由です。ここで出会うものはすべて美しいのです。ハヌマーンは自分の判断力で、この美しい女性がシーターではないと判断しました。最初、ハヌマーンは彼女の美しさに騙され、シーターを見つけたと思って喜びに飛び跳ねていました。しかし、良識が勝り、手遅れになる前に自分の間違いに気づきました。このステップは、アージュナー・チャクラの征服を意味します。

アショーカ・ヴァナに象徴されるサハスラーラ・チャクラで、ハヌマーンはシュリー・チャクラの普遍的な母である母なる女神を見つけました。彼女はビンドゥルーパ、つまりシーターです。シュリー・チャクラの形でのジャガンマーターの崇拝は、ハヌマーンのお気に入りの母なる女神への崇拝です。誰かがシュリー・チャクラ、母なる女神ドゥルガー・パラメーシュワリに崇拝を捧げると、ハヌマーンはこの上ない喜びを感じます。ハヌマーンは母なる女神の崇拝者であったため、彼女はアショーカ・ヴァナで彼にダルシャンを与えました。そうでなければ、彼女は彼にダルシャンを与えなかったでしょう。このように、シーターを探すランカへのこの旅で、ハヌマーンは霊性の道にあるすべてのチャクラを通過し、熟達したヨーギーになりました。

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