言葉と教え

ラリタ・サハスラナーマの名の意味381~390

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381. Rahoyāga-kramāradhyā ラホーヤーガ・クラマーラディヤー

意味)彼女は秘密の儀式 (ラホー・ヤーガ) を通じて礼拝されます。

秘密の儀式/犠牲とは、ヤーガを孤立して行う、または完全に人けのない場所で行うという意味ではありません。これは宣伝することなく、人が日常的に行う内なる儀式/念拝 (アンタル・ヤーガ) を指します。

ヴェーダは、モークシャ (解放) を達成するための基準について議論する際に、人が解放を達成できなくなってしまう条件を述べることを選択しました。「ラホー・ヤーガ」というフレーズの真の意味を理解するには、これらの不適格性を理解する必要があります。

Na sabda shāstrā bhiratasya moksho
知識に対するエゴやプライド(ヴィディヤ・アハンカーラ)に苦しんで、自分の知識で議論したり反論したりする人々は、解放からは程遠いです。そのような人々は、高度な学問と知識の限界に閉じ込められています。「‘Sabda jālam mahā aranyam’-サブダ・ジャーラム・マハー・アランニャム」つまり、言葉(知識)は、逃れることのできない巨大な森に似た網を張り巡らします。

Na bhojanā chālana tatparasyā
毎日の食事や毎日の快適さについて心配したり計画したりする人も、解脱には不適格です。心の中で次の食事のことを考えるべきではありません。物質的な快適さや繁栄を切望する人々は、解放の資格はありません。

Na loka chitta grahane ratasyā
他人の心を探り、欠点を見つけて、習慣や悪行を批判したいという欲求を捨てることができなければ、激しいサーダナも無駄です。人は自分の心だけを知るように努めるべきです。

Ekaanta sheelasya drda vratasyā
一人でいることを楽しみ (エーカンタ)、自分の実践に固執する者だけが解放を受ける資格があります。一人でいるということは、社会を避けることを意味するのではなく、社会全体と周囲の人々を忘れるほど目の前の事に没頭することを意味します。

霊性(アーディヤトミカ)と物質的生活(ローウキカ)を混ざり合わない別々の2つのものとして見るのは重大な間違いです。これらは2つの絡み合った糸です。社会の中で生活し、その一員でありながら、霊的な努力を続ける必要があります。社会から逃げ出し、洞窟に座って瞑想するのは非現実的です。

Moksho bhavet preeti nivartakasyā
このように一人でいることを楽しみ (エーカンタ)、愛やその他の感情 (ラサ) を進んで放棄できる人だけが解放の資格があります。

Adhyātma yoge niratasya samyakk
人は恐れやためらいなく霊性の道に進む必要があります。

Moksho bhavet nitya ahimsa kasyā
さらに、非暴力 (アヒムサー) を実践する人は解放を受ける資格があります。アヒムサーは、身体、言葉、思いの面で実践する必要があります。夢の中でも他人を傷つけてはいけません。可能であれば他人を正しますが、決して批判してはいけません。他人を批判したり欠点を見つけたりすることで、私たちはそれらの性質を自分自身に引き寄せています。悪魔のカムサやラーヴァナについて絶えず考えることで、私たちは彼らの悪魔的な性質を吸収します。同様に、ラーマやクリシュナについて絶えず考えることは、私たちが神聖な性質を発達させるのに役立ちます。

モークシャは死後に達成できる状態ということではありません。そのような神聖な性質を持つ人は、生きている間に解放を享受します (ジーヴァン・ムクティ)。

382. Rahastarpaṇa-tarpitā ラハスタルパナ・タルピター

意味)彼女は信奉者が捧げる秘められた供物 (ラハス・タルパナ) を喜びます。

「タルパナ」とは、捧げる相手を喜ばせる意図で捧げられる供物です。例えば、亡くなった年長者の幸福のため、また彼らを喜ばせる意図で「タルパナ」が定期的に捧げられます。

「秘められた供物」とは、世俗的な感謝や認知を求めずに奉仕することを意味します。

383. Sadyaḥ-prasādinī サディヤハ・プラサーディーニー

意味)彼女の恩寵は、「ラホーヤーガ」を実践し、「ラハスタルパナ」を捧げる人に即座に降り注ぎます (名前 381、382を参照)

平安 (シャーンティ) は彼女が与える真の祝福です。平和は外部から獲得できるものではなく、完全に内部の状態です。聖なる母は、その計り知れない恩寵を通じて、この平安を私たちに体験させてくれます。

384. Viśva-sākṣinī ヴィシュヴァ・サークシニー

(ヴィシュヴァ・サークシニーは1つの名前であり、ヴィシュワとサークシニーの間を空けてはなりません。「サディヤ・プラサーディニー・ヴィシュワ(間)サークシニー・サークシ・ヴァルジター」と読むのは誤りです。)

意味)彼女はこの創造物(ヴィシュワ、ジャガット)におけるすべての存在のすべての行為とすべての思いの目撃者(サークシ)です。

385. Sākṣivarjitā サークシヴァルジター

意味)彼女には、彼女の行為/行動を記録する目撃者がいません。

彼女は究極の目撃者であり、この創造物における究極の力です。彼女の行動の目撃者として行動できる力はありません。揺れ動く心で行動したり考える人には目撃者が必要です。彼女はすべての行為(ニシュ・クリヤー)とサンカルパ(意図)を欠いており、したがって目撃者の必要性を超越しています。

386. ṣaḍaṅga-devādāyuktā シャダンガ・デーヴァダーユクタ

意味)

1) 彼女は付属するアンガ・デーヴァタとともに存在の中に住み、その人を守ります。

身体の各部位 (アンガ) を司る神々はアンガ・デーヴァタとして知られています。「アンガニャーサとカーラナヤーサ」または「ケーシャヴァ・ナマス」のプロセスを通じて、デーヴァタ (神々) が身体の各部位に呼び出されます。神々 (デーヴァタ) は、聖なる行為を行う者の身体の各部位 (アンガ) にやって来て、そこに住みます。

2) ヴェーダには6つの肢 (シャド + アンガ) があります。ヴェーダの学習は、その肢 (ヴェーダ・アンガ) の学習も習得して初めて完了します。彼女はヴェーダ、ヴェーダーンガ、シャーストラの複合形態です。彼女はサラスワティです。

387. ṣāḍguṇya-paripūritā シャードゥグンヤ・パリプーリター

意味)彼女は 6 つの主要な特性を体現しています。このため彼女は「バガヴァーン」または「バーガワティ」という名前を名乗ります。

彼女の6つの主な特性は、

1) サルヴァグニャーター:全知、すべてを知っています。

2) トゥルプティ:常に満足しています。

3) アナーディ・ボーダナ:無限の知識。彼女は始まりも終わりもない知識の宝庫です。

4) スワータントラタ:永遠の自由を楽しんでいます。

5) ニティヤマルプタ・シャクティヒ:彼女は決して減ることのない永遠で無限の力を持っています。

6) アナンタ・シャクティ:彼女は計り知れない、無限、遍在の力です。

388. Nitya-klinnā ニティヤ・クリンナー

意味)彼女は常に慈悲深い (ダヤ)。

慈悲は正義であり、永遠でなければなりません。アルジュナは戦場で従兄弟たちに対して慈悲の感覚を経験しましたがそれは不正義でした。それは潜在意識の恐怖と執着から生じた慈悲でした。 至高の母は子どもたちに正義の慈悲を限りなく注ぎ込みます。この慈悲のおかげで、彼女は存在に良い変化をもたらします。

389. Nirupamā ニルパマー

意味)彼女は比類がありません。これがグルとしての彼女の姿です。

390. Nirvāṇa-sukha-dāyinīニルヴァーナ・スカ・ダーイニー

意味)彼女は最終的な解放/救済 (ニルヴァーナ、カイヴァリヤ) の幸福 (スカ) を授けます。

つづく

ラリタ・サハスラナーマの紹介
アンガニャーサとカラニャーサ(身体への神の勧請)
瞑想のための詩句
パンチョ―パチャラ・プージャ(五つの捧げものの儀式)
ムーラグランタ(基調詩節)1-111
サハスラナーマ112-1000

※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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