バガヴァット・ギーター 第2章6~11節
更新日 : 2024.12.14
カテゴリー : バガヴァッド・ギーター
na caitadvidmaḥ katarannō garīyahyadvā jayēma yadi vā nō jayēyuḥ
yānēva hatvā na jijīviṣāmaḥtē ’vasthitāḥ pramukhē dhārtarāṣṭrāḥ ǁ 6ǁ
クリシュナよ! 物乞いと戦闘のどちらに幸福があるのか、私にはわかりません。もっと重要なのは、勝利が私たちのものか、彼らのものか、わからないということです。それでも、ともに生きていくことのできない人々を殺した後に、ここで戦闘に立っています。
アルジュナは親戚、友人、グルを見た瞬間、彼らを殺すよりも戦わずに敗北を受け入れる方が良いと考えました。
誰が勝ってもアルジュナは窮地に陥るでしょう。彼らを殺せば、王家の贅沢が手に入ります。しかし、それは血に染まっています。カウラヴァ兄弟が勝てば、パーンダヴァ兄弟は物乞いをして生きていかなければなりません。それでアルジュナは葛藤していました。戦争には何の利益もないと彼は結論づけました。しかし、クリシュナが彼を戦わせようと煽っていました。
アルジュナは一瞬戸惑いました。しかしその理由はよくわかっていませんでした。平和を愛するクリシュナが彼を戦わせようと煽っているのなら、何か正当な理由があるはずだと彼は気づきました。アルジュナが弟子にならなかったら、クリシュナはその理由を明かさなかったでしょう。そこで、アルジュナはクリシュナに全託したほうがよいと判断しました。
kārpaṇyadōṣōpahatasvabhāvaḥpṛcchāmi tvāṁ dharmasammūḍhacētāḥyacchrēya
ssyānniścitaṁ brūhi tanmēśiṣyastē ’haṁ śādhi māṁ tvāṁ prapannam ǁ 7 ǁ
クリシュナよ!心はどうしようもない不純に包囲されています。私は自分のダルマがわかりません。あなたは本当の吉祥(シュレーヤス)を与えるものを判断して指示されます。私はあなたの弟子であり、あなたに避難を求めました。
ここでアルジュナは自分の弱さを明らかにします。彼は自分のダルマに従うことは重要であると同意しますが、自分のダルマの義務がわかりません。彼はシュレーヤスを得たいという願いを表明します。最も重要なことは、弟子として服従したということです。
na hi prapaśyāmi mamāpanudyātyacchōkamucchōṣaṇamindriyāṇām
avāpya bhūmāvasapatnamṛddhaṁrājyaṁ surāṇāmapi cādhipatyam ǁ 8 ǁ
たとえ私が地上の統治権や天界の皇帝の権利を得たとしても、この悲しみは私から離れることはありません。それから解放される方法がわかりません。
アルジュナの心と感覚は正常に機能していませんでした。心と感覚は悲嘆にくれて彼を苦しめていました。悲しみから解放される方法がわかりませんでした。彼は弱くなっていました。クリシュナの命令に縛られて、たとえ戦いに挑んだとしても、この悲しみが人生で消えるかどうかはわかりませんでした。自分自身を悲しみの姿だと考えていました。本当の自分の姿がわかりませんでした。
クリシュナは、命令すればアルジュナは戦うだろうが、一生嘆き続けることを知っていました。クリシュナはそれを望んでいませんでした。そのため前の節では、アルジュナに戦うように命じませんでした。その代わりに臆病を捨てるように求めました。
sanjaya uvāca:
ēvamuktvā hṛṣīkēśaṁ guḍākēśaḥ parantapaḥ
na yōtsya iti gōvindam uktvā tūṣṇīṁ babhūva ha ǁ 9‖
そう言って、敵を苦しめるはずのアルジュナは「私は戦わない」と言って沈黙しました。
ここからクリシュナの応答が始まります。
tamuvāca hṛṣīkeśaḥ prahasanniva bhārata
sēnayōrubhayōrmadhyē viṣīdantamidaṁ vacaḥ ǁ10ǁ
軍隊の真ん中で精神的に弱くなったアルジュナを見て、クリシュナは笑っているような顔をして言いました-
第1章の2節から前の節まで、輪廻転生を引き起こす妄想、悲しみ、その他の不純につながる原因が説明されました。アルジュナは「彼らは私の民であり、私は彼らの民である」と妄想していました。彼らを失うことを嘆きました。「どうしてビーシュマ、ドローナを殺すことができましょうか」と彼は言いました。
妄想(モーハ)と悲しみ(ショーカ)が彼の識別する英知(ヴィヴェーカ)を破壊しました。戦争で戦うというクシャトリヤの義務を常に果たそうと熱心に取り組んでいた彼は、今や物乞いをしようとしていました。それはパラダルマ(他人に割り当てられた義務)です。
悲しみと妄想にとらわれた人間は、通常、自分の義務(スワダルマ)を放棄して、パラダルマに頼ろうとします。
スワダルマに従う人々の精神、肉体、言葉による行為でさえ、成果への期待が絡みあっています。それらのせいで、好き嫌い、喜びと悲しみなどで満たされた輪廻のサイクルに終わりはありません。悲しみと妄想は輪廻転生の種です。行為の放棄と結びついた英知(ジュニャーナ)を達成することによってのみ、悲しみと妄想は破壊されます。クリシュナはこの重要な教えを世界に伝えたかったのです。クリシュナはアルジュナを口実に、このイニシエーションで世界を祝福したのです。
Śrī bhagavānuvāca:
aśōcyānanvaśōcastvam prajñāvādāṁśca bhāṣasē
gatāsūnagatāsūmśca nānuśōcanti paṇḍitāḥ ǁ11ǁ
アルジュナ! あなたは嘆くべきではない人々のために嘆いて、パンディットのように話している。しかし、パンディットは死者にも生きている者にも嘆かない。
悲しみと迷いに沈み、スワダルマを遂行するという点で愚鈍になっていたアルジュナを元気づけるには、真我の認識以外に方法はないと判断しました。シュリークリシュナは泣く理由はないのだと言ってこの教えを始めました。シュリークリシュナはこう言います。「あなたが泣いているビーシュマ、ドローナは、優れたダルマの行いをした人である。
633話に続く