言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第243話

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このようにして、プランジャナ王はプランジャニー女王に完全に夢中になってしまいました。完全に幻想にとらわれて、本来の姿を完全に忘れてしまい、騙されました。完全に彼女の支配下に置かれ、好むと好まざるとにかかわらず彼女の跡をついていきました。彼は彼女の手の中の操り人形になってしまいました。

これで第25章は終わります。

第4巻 第26章

この章では、プランジャナが狩りのために森へ行きます。これを例として、個人が目覚めの状態と夢の状態を放棄する方法、識別力のある知性を失う方法、この世界への夢中になっていくことと、それに伴う危険についての教訓がすべて説明されています。

ナーラダ・マハルシは続けて言いました。「ある日、プランジャナ王は、無限の矢が入った強力な弓と矢筒を手に取りました。彼は鎧を着て、5頭の馬に引かれた戦車に乗り込みました。11人の軍司令官とともに、パンチャプラスタの森に狩りに出かけました。彼の戦車は電光石火の速さで動きました。

戦車は2本の車輪、2本の側棒、1本の軸、3枚の旗、1本の綱、5本の針金、1つの座席、動物を繋ぐための2本の棒、5つの武器、7枚の保護幕で構成されていました。この戦車は1人の戦車兵が操縦していました。金色の装飾が施されて、美しく見えました。5つの違った速度と方式で走ることができました。

プランジャナは狩りへの強い欲求を抱いたため、1分たりとも離れられない妻を置き去りにして、この戦車に乗り込みました。傲慢さのせいで、彼から慈悲の気持ちは消えていました。恐ろしい姿と悪魔のような振る舞いで、彼は容赦なく狩りを始めました。鋭い矢で、深い森を駆ける罪のない動物たちを無情にも殺しました。

王が肉を食べたい場合、特定の手順がありますよね?聖典では、特定のヤグナ(供儀)と儀式の期間にのみ、動物の狩猟と殺害を許可しています。 狩猟できる動物の種類とその手順も、この聖典(シャーストラ)に規定されています。 言い換えれば、王はヤグナを実行して、シャーストラで指定されたように自分の望みを満たさなければなりません。さらに、必要な場合にのみ殺すべきです。それ以上殺すことは許されていません。

Ya evaṁ karma niyataṁ vidvān kurvīta mānavaḥ
Karmaṇā tena rājendra jñānena na sa lipyate

知的な人は毎日の定められた義務を継続して、それによって心を純粋にしていきます。すると、真我の認識がその人の中に生じます。その結果、彼は果報的な行為とその結果に縛られることはありません。

一方、「私は行為者だ」という思いで果報的行為を行って、その結果を楽しむのを期待する人は、この繰り返される輪廻転生の回転にがっちりと閉じ込められてしまいます。その人は識別力を失います。この輪廻に閉じ込められた人は、最低のレベルに落ちます。

プランジャナがこのように色とりどりの強力な矢で、さまざまな動物の手足を容赦なく切り落としたとき、動物たちはひどく苦しみました。容赦のない慈悲なき行為は、罪のない高潔なハートを持つ人たちに大きな悲しみをもたらしました。彼はウサギ、野生の豚、イノシシ、バイソン、黒い鹿、ヤマアラシなどの無害な動物を殺しました。その時までに彼は非常に疲れて、飢えていました。

そのため彼は家に戻り、入浴して、豪華な食事をしてリラックスしました。彼は今や若返っていました。体に白檀のペーストを塗って、所々でお香に火をつけました。あらゆる甘い香りで体を飾り、たくさんの装飾品を身につけました。そして、妻のことを考えました。

彼の傲慢な心は喜びに満ちていました。それは今や、欲情から求めるものでいっぱいでした。彼は今、家を掃除してきちんと整えてくれる美しい妻を探し始めました。彼女はどこにも見当たりませんでした。彼は動揺しました。

彼女の従者たちに尋ねました。「美しい女性たちよ、皆、元気か?皆の奥方は元気なのか?私が狩りに出かけたとき、この家は輝いて、活気に満ちていた。なぜこの家は輝きを失ってしまったのか?母親や忠実な妻のいない家は、壊れた馬車にたとえられる。賢い男なら、こんな家に住みたいと思うだろうか?

想像を絶する困難に陥っていたとき、彼女は私の中に知性を呼び起こして、元気づけてくれた。私の愛する妻はどこに消えたのか?」

従者たちは答えた。「敵を滅ぼすお方よ、私たちは奥方様の心の中の意図を知りません。奥方様は今、床で眠っておられます。そちらをご覧ください」。

プランジャナは床で眠っている妻を見ました。彼女と住んでいたため、彼は完全に知識を失っていました。床に横たわっている妻を見て、彼は非常に動揺しました。悲しみでいっぱいになりました。彼は甘い言葉で彼女をなだめようとしました。彼女の怒りの理由を理解できませんでした。どこで間違えたのか理解できませんでした。

Paramo ’nugraho daṇḍo bhṛtyeṣu prabhuṇārpitaḥ
Bālo na veda tat tanvi bandhu-kṛtyam amarṣaṇaḥ

おお、美しい人よ、私は間違いを犯した召使いである。主人が私を罰するなら、それは私の大きな幸運だ。怒りっぽくて愚かで忍耐力のない召使いだけが、主人が罰を与えることで実は自分を励ましてくれているのだということを理解できないのだ。

ナーラーヤナーヤ・ナマハ

244話へ続く

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