バガヴァット・ギーター 第1章まとめ&第2章序文
更新日 : 2024.12.10
カテゴリー : バガヴァッド・ギーター
シュリーハリはこう答えました。「バガヴァット・ギーターの最初の5章はシュリークリシュナの5つの顔だ。その後の10章はシュリークリシュナの10の肩だ。次の1章はお腹だ。最後の2章は足だ。そのためバガヴァット・ギーターはシュリークリシュナの音としての姿なのだ。」
『バガヴァット・ギーター』は「英知(ジュニャーナ jñāna)」という道具で、最悪の罪さえも破壊します。人は『バガヴァッド ギーター』の全章、または1章、1節、少なくとも1/2節を毎日献身的に唱える必要があります。そうすればスシャルマのように解放されます。
スシャルマは高貴なバラモンの家庭に生まれました。しかし、邪悪な人たちとつきあって悪徳に溺れるようになりました。空腹をしのぐため、近所から野菜を盗んで売りました。ある夜、蛇に噛まれて死んでしまいました。地獄で長い間苦しんだ後、彼は雄牛として生まれ変わりました。
その雄牛は足の不自由な男の乗り物となって、重い荷物を運ぶだけではなく、拷問も受けました。ある時、その雄牛は、山を登っているときにバランスを崩し、深い谷に落ちて死んでしまいました。
雄牛を哀れに思った数人の聖者が、自分のプンニャ(徳)を少しだけ雄牛に移しました。同じく旅をしていた娼婦が「私は人生で何の徳も果たしていない。何をあげたらよいのか? 私が持っている徳をすべて、あの雄牛に渡そう」と考えました。
雄牛の魂はヤマ・ローカ(閻魔神の世界)に到着しました。ヤマの従者たちは、「この罪人は罪を償うべきだ」と言いました。しかしヤマは、「あの女性が渡した徳のおかげで、彼はすべての罪から解放された。良い生まれを祝福せよ」と言いました。
その後、彼は良い家に生まれました。前世の知識を授かりました。こうして幼少のころから高貴な性格を培いました。ある日、彼はその娼婦を見ました。非常に不安を感じて、娼婦のところへ走って行って「おお、母よ!あの日、私にどんな徳を授けてくださったのか教えてください」と尋ねました。
その時には彼女はもう年老いていました。彼女は驚いて言いました。「私はオウムを飼っています。そのオウムが夜も昼も唱える言葉を暗記したのです。意味もわかりません。でも、それが力強い言葉であることは分かっていました。その唱える徳をあなたに授けたのです」。
少年はオウムのところへ走って行きました。少年を見ると、オウムは嬉しそうに笑って、人間の声で言いました。「私は前世でバラモンの学者だった。傲慢さのせいで、先生たちをも罵った。多くの罪のため、私は地獄に落ちた。そこで苦しんだ後、オウムとして生まれ変わった。飛ぶことを学ぶ前に、両親は亡くなってしまった。ある日、私は猛暑で意識を失った。過去世でヴェーダを唱えていた徳のために、あるリシ(聖仙)が私に気づいた。彼は私を哀れに思って連れて行った。彼のアーシュラムで私を育ててくれた。
当時、彼は生徒たちにバガヴァット・ギーターの第1章を教えていた。毎日この詩節を聞いて暗記した。しかし、私の過去の悪行が再びその頭をもたげた。泥棒が私を盗み、この女性に売ったんだ。私は長年、これらの詩節を繰り返し唱えてきた。絶え間なく唱えたため、徐々に過去世を思い出した。この女性は私の言葉を聞いて、すべての詩節を暗記した。彼女も毎日その章を全て唱えている。彼女はその徳をあなたに渡した。それはあなたが良い家庭に生まれることを許可して、過去世の記憶を与えたのだ。
少年も毎日この章を唱えました。最終的に3人全員が解放を得ました!
シヴァ神はこう言いました。「第一章を絶えず思い出すことで、人は罪から解放されジュニャーナ(英知)とモークシャ(解放)を得る」。
第二章
サーンキャ・ヨーガ
多くの人が「サーンキヤ Sāṃkhya」という言葉を、マハルシ・カピラが広めたサーンキヤ哲学と混同しています。しかしそれは間違いです。カピラのサーンキヤには、ここで教えられている教義と矛盾する点がたくさんあるからです。
カピラのサーンキヤは、プラダーナ(プラクリティ)とプルシャを別々の存在とみなし、その違いを理解することが解放につながると述べています。しかし『バガヴァット・ギーター』では、シュリークリシュナは「真我(アートマ)の知識だけが解放につながる」と述べています。
彼はこう言います。「プラダーナとプルシャの違いについての知識は必要だ。私たちはその必要性を否定しているわけではない。その知識は「アートマ・アナートマ・ヴィヴェーカ atma-anātma viveka」(真我と非自己の対象を識別する能力)と呼ばれている。しかし、その知識を得ることが最終目標ではあない。知識を得ることで終わることなく、個人の魂(ジーヴァ)と至高の魂(パラマートマ)の一体性を経験的に理解するまで、霊性修行(サーダナ)を続けなければならない」
カピラのサーンキヤ哲学はイーシュヴァラ(創造主)の存在を認めていません。サーンキヤ哲学は、「3つのグナ(属性)から成るプラダーナと呼ばれる不活性な存在がある。それは独立している。それ自体で宇宙を創造する。イーシュワラは創造主ではない。パラメーシュワラ(至高神)はいない」と述べています。
この教えはクリシュナの教えやヴェーダの教えと矛盾しています。したがって、学識のある長老たちはサーンキャ・シャーストラをナースティカ・シャーストラ(無神論)と呼んでいます。
したがって、この『バガヴァッド・ギーター』の「サーンキヤ・ヨーガ」は「サーンキヤ・シャーストラ」ではありません。
「サーンキヤ」という言葉は「至高の本質の知識」を意味します。その知識に定着することがサーンキヤ・ヨーガです。その知識を確立した人々は「サーンキャ」または「スティタプラジュナ(英知が確立した人)」と呼ばれます。主は後の節でスティタプラジュナの状態について詳しく述べます。それでは、「サーンキャ・ヨーガ」を授ける第2章に入りましょう。

