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Yoko Kannoのピアノソロアルバム「Shiveti Shoureeti」は、今迄の日本の「ヒーリング・ミュージック」には無かった音楽であるという結果論と、スリ・スワミジの祝福と見守りの中で現地インドのホールで録音されリリースされたという希有なプロセスの点から、日本人ミュージシャンとしてとても画期的なアルバムだと思われます。
アルバムタイトルとなった「Shiveti Shoureeti」は、Yoko氏がスリ・スワミジのアシュラムに滞在中に出逢ったスリ・スワミジ自作のBhajanで、療法音楽のラーガ(旋法)に基づいているとのこと。その他の曲は、アシュラム滞在中の独特な環境とテンションとシャンティーの中でYoko氏の創作衝動からほとばしった名曲の数々です。
Yoko氏のこのアルバムは、普通にヒーリング音楽として聴くことも、イージーリスニングとして聴くことも、それこそ「心地良いBGM」として聴くことも可能ではあります。しかし、それ以上の意味合いや価値を知ろう分かろうとするのであるならば、ひとりの日本人ミュージシャンが、スリ・スワミジと出逢い、アシュラムで時を過ごし、しかし日本に帰国し、私たちと同じ様に、現代日本の忙しい波動の中で生きて行く、その様な生き方や覚悟、想いについて、少し掘り下げて理解すると良いと思われます。それは事実をご本人から伺うのではなく、あくまでも「その音楽」が語っている物語を読み解くということです。
まず、スリ・スワミジの「療法音楽」は、近年日本でも熱心なファンが多い「インド古典音楽」の「Performance」とは異なり、あくまでも「療法音楽」としての存在感・存在価値があるものです。
もうすこし具体的に言うと、「Performance音楽」に欠かせない「自己顕示と個性」や「時制と共に発展する変幻性」そして「ある程度のGimmick」などがほとんど無縁、別次元の音楽であるということです。
そのような次元、姿勢、意味合いの音楽は、結果として、非常に親しみ易く聴き易い音楽になっているという不思議な現象があります。
敢えて極端な言い方をすれば、「プロミュージシャンのgimmickやハッタリや
外連味」というものを割愛、削除した音楽というものは、極めて素直で純粋で優しいものである、ということだと思われます。
そのような「療法音楽」とスリ・スワミジの音楽と出逢って出来たのが、Yoko氏のこのアルバムなのです。
もちろんその音楽的ソースは、スリ・スワミジとの出逢いの前の彼女の音楽歴に見ることが出来るものです。
そこには、クラッシクの要素からポップスの要素、おそらく彼女が試行錯誤や多くの音楽的感動、興奮と、苦悶と挫折を繰り返しながら培った音楽性と感性。そして、憧れた様々なジャンルの音楽が織り込まれているに違いありません。それらは、作品の随所で、とても好感持てる形で現れています。
しかし、これは私個人の印象的感想ではありますが、同じ様なジャンルやサウンドの音楽に当たり前に普通に感じられる「自己顕示欲」や「お涙頂戴」的な「売れ線に敏感なセンスと技」を、Yoko氏のこのアルバムには全く感じなかったのです。
その姿は、前述のスリ・スワミジの「療法音楽」と「Performance音楽」との違い、と構造的に一致するものではないでしょうか。
1、Shiveti Shoureeti
アルバム中唯一のスリ・スワミジ作品ですが、スリ・スワミジご自身のものも含め、アルバムに納められたのは今回が初めてですが、アシュラムでは毎日朝一番に歌われる普遍的な祈りの歌。
個人的な印象ですが、一聴して、ドビュッシーのオーラの中で、エリック・サティの音が漂うような光景が浮かびました。
2. Going Home
左手低音の持続的通奏的なオスティナートが、インド古典音楽の「基音持続」をイメージさせるような曲。そのオスティナートは、和声的に変化するのでインド音楽ではないのですが、「別物」とは思えないような世界観を感じさせます。
作曲のモチーフは、「それぞれの個々の魂(Atman)が大いなる故郷へ還る旅」を描いたもので、そのテーマは「いずれはパラマートマンに融合されていく、人間(魂)の運命」であるとのことです。
個人的な印象では、1960年代70年代モダンジャズのピアニスト、モンクやガーランド、 ホレス・シルバーやマッコイ・タイナーなどがインド音楽と出逢った時の「衝動」のようなものを感じます。日本らしさも入っているところが特に素敵に思える、好きな曲です。
3. Love is here
いわゆるポップスですが。私は、同じ様なジャンル、曲でこれほど嫌味、いやらしさが無いものを聴いた記憶がありません。
もしかしたら、それは曲自体の構造によるものではなく、Yoko氏のアシュラム生活、スリ・スワミジとの出逢いがもたらした、「エネルギーや癒され」とは別な「何か」の為せるものなのかも知れません。
4. Tara
創造と破壊の神「Shiva」の妃「Durga女神」の、「救世主」としての「Murti(ムールティー/相)」である「Tara女神」を想い描いた曲。
Taraはまた、チベット仏教では、慈愛に満ちた菩薩であり、作曲のモチーフもまた「慈母の優しさ」を描いたとのこと。
個人的な感想は、決して力みも気負いも無いのですが、何か「立ち向かう」ような、別れのような「寂しさと哀しさ」をも感じられます。しかしそれは「必然的、宿命的な、ある意味喜ばしい別れ」です。
下世話で幼稚な喩えで恐縮ですが「卒業式、結婚式」の音楽の様でもあります。
しかし、巷によく在るそれら(Farewell-Song)とは異なり、「あくまでも音の動きが持つ力に素直である」という、インド科学音楽にも通じる姿勢に好感を抱きます。やはり、スリ・スワミジとアシュラムがもたらしたシチュエイションの為せるものでしょうか。
5. Culapanthaka
作品のモチーフは、タイトルの「仏陀の弟子」で自分の名前すら覚えられない「チューラパンタカ」が、「仏陀の教え通り掃き掃除を無我になってし続け、遂には光明を得た」というもの。スケールとテンポ感が替わる途中からの展開では仏陀とチューラパンタカの問答を描いているとのことですが、むしろ躍動的であり「悟り」というよりは「閃き」を感じます。
二曲目同様に、左手低音の持続的通奏的なオスティナートが、インド古典音楽の「基音持続」をイメージさせるような曲で、一曲目ニ曲目の「70年代Raga-Jazz風」なサウンドと、三曲目四曲目の「90年代J-Pops風」が合わさった様な、言わば「盛り沢山」な豊かな印象を受けました。
6. Deva Dance
作品のモチーフは、「Deva(女神)たちの美しい遊び、舞を表現」とのことです。
北インド古典音楽の「Raga:Bhupali」、南インドの「Raga:Mohanam」とも通じる、日本の四七抜調ですが、決して日本人好みに迎合した牧歌調ではないところが見事。幼い猫が、陽だまりで毛糸球に夢中になった後、余韻で少し遊んでいる様な感じがします。
7. Deepa
作品のモチーフは「波打ち際に降り注ぐ光を描く」とのことです。
個人的には、アルバム中、珠玉の一曲に思います。
いやらしい自我を捨てて、素直に音に心を委ねた感じや、更に言えば、「自分の為に泣くことを止めた人間」の、ある種の「悟り」さえ感じられます。